私の生まれ故郷であります::: 石川県の能登、旧羽咋郡河合谷村(現在の河北郡津幡町)で、

大正十五年(1926年)のことでした。

校舎が老朽化したため立て直しを迫られていたものの

貧困な農村は財政難だった。

そこで、全世帯298戸が村ぐるみ「禁酒を断行」、「勤倹貯蓄」の生活により

学校校舎建設資金四万五千円を捻出したのである。

禁酒はこの年の四月一日から実施され、日常生活のあらゆる倹約にも全村民こぞって

努力し、五ケ年計画で一戸平均百五十円の賦課、拠出であった。

小学校の校舎建設工事はすぐに着手され、

同年七月には木造二階建て校舎と講堂兼体育館が竣工した。

このことは、『日本唯一』 とのことです。